
キリスト教徒とかに言わせたら「自分自身を拝むなんてサタンのすること。これぞ偶像崇拝」とか確実に言い出すでしょうが、外部の神を拝むのも偶像崇拝、自霊拝と変わらない行為なんですよ。それを説明しましょうか。 キリスト教の新教・旧教を問わずに正典になっているヨハネの福音書の冒頭はこの世の真理の全てを表現しています。イエスに最も愛された弟子である聖ヨハネいわく、 初めに,ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 この方は,初めに神とともにおられた。 すべてのものは,この方によって造(つく)られた。造られたもので,この方によらずにできたものは一つもない。 つまり、神は言葉にすぎないと言っているのです。 もう一度繰り返しましょうか。 神=言葉です。 つまり、神なんて神という言葉にすぎないと言っているのですよ。聖ヨハネは。 神が言葉だなんて、みもふたもありませんよね。 要するにイエスに限らず、全ての神という存在を拝んでいる連中は、神という言葉を拝んでいるのですよ。 そしてもう一つ。言葉という象徴で示されているのは、思考です。 人間は言語化することによってものを考えるからです。 人間の人格とはその人の考えている内容ですから、これから導き出される結論は、言葉=思考=神=人間です。 つまり、なんのことはない、イエスや聖マリアを拝んでいるつもりで自分自身を拝んでいるのですよ。キリスト教徒は。 だいたい2000年前に昇天した神がどのような方だったのか、会ったこともないのにどうして知り得るでしょうか。要するに自分の頭の中で作り上げた神のイメージを拝んでいるわけです。 そして最後に、「すべてのものは,この方によって造(つく)られた。造られたもので,この方によらずにできたものは一つもない。」と書かれていることがあなたがこの世界の創造主であることを示しています。 この世界とはあなたの意識のスクリーンの上に投影されたスライドフィルムのようなものにすぎません。フィルムは潜在意識と顕在意識の思考を構成する一切の記憶。それを投影する光線は真我の光です。 それこそが聖ヨハネがこの直後に「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇(やみ)の中に輝(かがや)いている。やみはこれに打(う)ち勝(か)たなかった。」と書いていることです。 ですから、逆の言い方をするとこういう言い方ができるでしょう。 自分を拝んで感謝の心を捧げることは成功への道。 その逆に、「俺はなんてダメな人間なんだ」とか言って自分を裁きけなすことは死の道です。 成功法則の基本ですよ。 だから聖書も「人間は自分の量る秤で測り返される」と書いてあるでしょ。 誰もあなたを地獄に落とす神なんていませんよ。だってあなた以外に神なんていないもの。 自分で落とさない限りはね。 (引用元: 陳さんのWorld view:本日のネタオチ)

鳥居には真ん中の柱がありません。 しかし、なくて良いのです。鳥居は立っているだけでは柱が一本足らずに未完成ですが、ある瞬間に完成するからです。 その瞬間とは、鳥居の下を人が通った時です。 鳥居の下を通った人は文字通り「人柱」となり、足らないパーツである真ん中の柱の役割を果たして鳥居を完成させ、本来のあるべき姿を現出させるのです。 また、真ん中の柱はイエスが架けられた柱です。つまり、鳥居の下を通った人は、磔刑に処されるイエスと同一化体験をしているということになります。そして、その時、「死」を疑似体験し、鳥居を通り抜けることで「生」→「死」→「生」とイエスの復活をも再現することになります。 ★要するに、神社を参拝するとき、人間は十字架にかけられて死に、参拝を終えて帰るときに復活する。死と再生の秘教秘儀を日本人は本人が意識せずに行っているのである。これがユダヤ教と原始キリスト教を組み入れて神道を作り上げた人たちの恐ろしいところで、教義らしい教義がない宗教がこれだけ長い間続いてきた秘密の一つでもある。言い方をかえると、鳥居をくぐったとき、あなたは神である。そして拝殿で祈るとき、それは自分で自分に祈っているのだ。だから天照(イエス)が「これを私だと思って祀れ」と天孫に授けた鏡の象徴である鏡が置かれているのだ。あの鏡は自分自身の本当の姿を映し出す。だから神社で他人の不幸を呪ったりするのはとんでもないことである。それが100%かえってくるし、伊勢白山道氏が言うように願い事などもするものではないのだ。感謝だけしておれば正解。 (引用元: 陳さんのWorld view:本日のリーベンオチ)
国連軍司令官は彼らにむかって、「おまえたちは朝鮮人の王をゆるしてもらいたいのか」と言った。それは李明博たちが金正日を引き渡したのは、ねたみのためであることが、国連軍司令官にわかっていたからである。しかし李明博たちは、張成沢の方をゆるしてもらうように、群衆を煽動した。そこで国連軍司令官はまた彼らに言った。「それでは、おまえたちが朝鮮人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。彼らは、また叫んだ。「十字架につけよ」。国連軍司令官は言った。「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。それで国連軍司令官は群衆を満足させようと思って、張成沢をゆるしてやり、金正日をむち打ったのち、十字架につけるために李明博に引きわたした。南朝鮮カイライ軍兵士たちは金正日を、総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。そして金正日に紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶせ、「朝鮮人の王、ばんざい」と言って敬礼をしはじめた。また、葦の棒でその頭をたたき、つばをかけ、ひざまずいて拝んだりした。こうして、金正日を嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた。それから、彼らは金正日を十字架につけるために引き出した。そこへ過去の反省をしない日帝野郎の鳩山というチョッパリが通りかかったので、人々は金正日の十字架を無理に負わせた。そして金正日を白頭山、その意味は、朝鮮民族の聖地という所に連れて行った。そして金正日に人糞をまぜたマッコリをさし出したが、お受けにならなかった。それから、金正日を十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、金正日のジャンパーを分けた。金正日を十字架につけたのは、朝九時ごろであった。金正日の罪状書きには「朝鮮人の王」と、しるしてあった。そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、金正日をののしって言った、「ああ、大韓民国を打ちこわして三日のうちに解放する者よ、十字架からおりてきて自分を救え」。南朝鮮カイライ政府高官たちも同じように、在日韓国人たちと一緒になって、かわるがわる嘲弄して言った、「何万人もの同胞を餓死させたが、自分自身を救うことができない。朝鮮民族の王金正日、いま十字架からおりてみるがよい。それを見たら信じよう」。また、一緒に十字架につけられた者たちも、金正日をののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして金正日は大声で、「スシ、スシ、ワンモア、プリーズ」と呼ばれた。それは「檀君様、父上、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、文鮮明を呼んでいる」。ひとりの人が走って行き、海綿にトンスルを含ませて葦の棒につけ、金正日に飲ませようとして言った、「待て、文鮮明が彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。金正日は声高く叫んで、ついに息をひきとられた。そのとき錦繍山記念宮殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。金正日に向かって立っていた米軍司令官は、このように息をひきとられたのを見て言った。「まことに、この人は神の子であった」。 (引用元: 陳さんのWorld view:本日の中共・半島オチ)
ユダヤ教徒→トーラとタルムードに禁止されていないことなら何をやってもよい。 イスラム教徒→コーランが禁止していないなら(以下同) カ ルヴァン主義の流れをくむプロテスタント→救われる人は全て予め予定されている。救われない人は地獄に堕ちるように作られている。従って、金持ちなどは神 に祝福された人であり、貧乏人などははじめから呪われた人である。人間が救われるために善行をする必要はない。従って神に祝福された人が金持ちになるため には何をやってもよい。 カトリック教徒→少罪を犯してもミサに出席したら赦される。どんな大罪を犯しても、神父に懺悔をちゃんとしたら地 獄に落ちることはない。だから、マフィアは殺人をしてからちゃんと懺悔をすれば、直接天国に行くことはできなくても死後地獄に堕ちることはない。だから浮 気をしたいなら、してから教会に行って神父に懺悔。これがイタリア人なんかの生き方。 日本人→全てのものに神を看る。人と神の間に区別を設けない。だから神の目である他人の目が一番気になるという精神性。もっとも最近では農業と関わりをもたない人が増えたことで、これも薄れてしまってきている。 (陳さんのWorld view:本日のリーベンオチ より引用)
親日なキリスト教なんて新教・旧教共に存在しません。反日であり、日本の国体を破壊しようとしている毛唐の宗教があるだけです。その理由は天皇陛下が神道の祭祀王であり、日本の民族宗教と密接に結びついた存在だからです。そして、神道の八百万の神々が天津神(天孫降臨=渡来して日本を征服した皇室の先祖)も国津神(皇室の先祖が渡来する以前に日本に土着していた豪族の先祖)も天照大御神の下に秩序づけられているように、神界秩序の地上反映たる日本の神道という民族宗教も天皇なくして存在できません。これは同じ民族宗教で教義がなく多神教であるという点で似ていながら、祭祀王のシステムを持っていないインド民族のヒンズー教と異なる点です。バチカンは戦後皇室をカトリックに回収させようと工作して見事に失敗してしまいましたが、その過程でその理由をはっきりと認識しています。靖国神社なんて反日勢力の伊勢神宮攻撃の盾がわりになっているのですよ!!彼らは日本の民族宗教神道の存在こそ、日本のキリスト教化の最大の原因であると考えており、神道の最高祭司である天皇の存在も同時に障害であると認識しています。だから、反日勢力にはキリスト教徒が多いのです。だから彼らは靖国と皇室を攻撃しています。正月の初詣のときに神社の前で不敬な宣教活動を行います。しかし、彼らはまだ伊勢神宮を攻撃することは差し控えています。それが日本人の民族集団意識の逆鱗に触れるとアカい脳みそなりに理解しているからです。ですから、彼らはこれらを攻撃すると同時に、日本の民族宗教を破壊するために移民という別のアプローチをとるのです。日本が単一民族国家だから、民族宗教などというものが存在するようになる、と考えるのです。(陳さんのWorld view:本日の国際情勢オチ より引用)
▼日本では報道されてない、麻生さん情報(チラ裏の倉庫) ずいぶんな買いかぶりだなぁ。なんか日本人はある団体に属している人はみんな団結していると勝手にステレオタイプで見ているけど、カトリックなんて今やバラバラだよ。麻生氏についていえば、彼は別に日本のカトリックの信徒総代でもなんでもないし、カトリック教に公的にそのような地位があるわけではない。また、日本のカトリック教の聖職者首脳部はほぼ左翼の社民党・共産党支持者に乗っ取られている。これは在特会の聖イグナチオ教会突撃事件の経緯を見れば明らかだろう。麻生氏を支持する聖職者や信徒なんて、日本ではほとんど力をもっていない。ただし、皇后様との繋がりで、教団を離れたウラでは親米保守のエリートカトリック信徒(財界人・官僚・政治家・マスコミ関係者など)の非公然の繋がりはある、とは言っておこう。ただし、それほどの力をもっているわけではない。この繋がりは神代から続く日本の伝統的な秘密結社とも人脈が一部繋がっているとチラシの裏に書いておこう。ただ、日本の秘密結社は欧米のそれのような政治的方向性をもっているわけではない。政治的なテーマといえば皇統の維持ぐらいなものだ。それ以外の政治的な分野については本当に考えているのか?というぐらいだ。それとバチカンだが、今のローマ法王は今は福田政権から麻生政権にかわったような感じだ。バチカンは全然団結した組織ではない。バチカンでは今ベネディクト16世を支える保守派と第二バチカン公会議路線の貫徹を目指すリベラル派が最後の死闘を繰り広げており、目先の最大の決戦がルフェーブル派の公認問題だ。どちらが勝利しても教団は大きな分裂に至る可能性が高い。 (陳さんのWorld view:本日のリーベンオチ より引用)
多分、日本では報道されてないと思うので、私のしってる麻生さん情報。麻生さんは、カトリック教会の日本信者総代の立場におられる(イタリアで知ったwヨーロッパ社会との強いルート。加えて、世界最強の日本の皇室のご親族。EU成立には、ヨーロッパ旧王族会議の果たした役割が大きい。昭和天皇とも親交の深かったオットー、フォン・ハプスブルグ殿下(かつてのオーストリアの王族)などが中心人物。 日本では、カトリックというと、馴染みがなく、信徒数も少ないけどローマ法皇を頂くカトリック教会の力は大きく、財政力もすごい。 日本は、宗教というと、信者からのお布施、献金が上納されていくだけのシステムと見られがちだけどカトリック教会は、いろんな大企業の大株主であり、自らもいろいろな施設などを運営する等世界から見たら相当の凄い規模。 どれ位凄いかというと、ワレサ委員長率いる連帯が、共産主義国であったポーランドで自由獲得のために運動し全国的なものとなったとき、当時の国家元首ヤルゼルスキは、同国人のローマ法王ヨハネ・パウロ2世に泣いてすがったという位。 まぁ、難しい事は置いといて、その位、深い関係があり、世界に隠然たる力と影響力を持つカトリック教会の信者総代が日本の総理になられたという事で、ローマでは一面TOPに記載されて報道された位でした。 そして、先のEUの中の総理を決める会議では、ベルギー国から選ばれたけど、これにも麻生さんは、沢山の意見を求められかなりの協力をした事が報じられてました。 日本の記事で、いくらさがしても見つからないから、情報としておいておきますね。 (チラ裏の倉庫: 日本では報道されてない、麻生さん情報 より引用)